弱者男性論への疑問への疑問


macskaさんのブログから
 要するに、鈴木謙介氏は『バックラッシュ!』論文で、同性愛者など「真の弱者」を考慮しておらず、「強者男性(いわゆる「弱者男性」を含む)」「強者女性」の話しかしてない、不公正だ、という内容。確かにいわゆる「弱者男性」よりも弱者な男女はいるだろう。しかしmacska氏の主張は大筋で「弱者男性」側の主張と同じどつぼにはまってる。
 「真の弱者」というのは誤読だった。どつぼにはまってるていうのは言い過ぎかもしれない。が、少なくともまだ2つの疑問がある。
 第一に赤木氏はともかく鈴木氏はベタに弱者男性のサポートを主張しているのか、という点。私は『バックラッシュ!』持ってないので実際のところはよくわからない。しかしmacska氏がまとめているのをみる限り、ベタじゃなくて戦略的な主張であるようだ。可愛そうだから、不公正だから「バックラッシュ(弱者)男性」をサポートするといようにはみえない。「強者(になるはずだった)男性」や「強者女性」の記述に偏ってるとしたらそれは問題だと私も思う。ただバックラッシュによる影響を「弱者女性」や同性愛者も受けるのは確か。だから、多少不公正な政策を行っても、結果としてバックラッシュが鎮静化し、より大きな公正を得られるならよいのでは。戦略的な主張には、それは戦略的でないというのは有効でも、不公正だという批判は必ずしも妥当じゃないと思う。
 第二に「サポート」「包摂」の具体的内容が不明確な点。はっきりしてない以上勝手に想像して批判するのはどうか。勘違いしたままでもバックラッシュとして吹き上がらないようにする「手当て」もあるのでは。
 もちろん社会保障的援助をするとかになれば、優先順位を議論する必要はある。しかし「弱者男性」が吹き上がる原因として正社員になれない、パートナーが作れない以前に、社会的に男性のそうした状態が非難される風潮があり、結果として社会的承認が得られないことが何よりの問題なのではないか。
 つまり「弱者男性」の選択肢を増やすことだけでなく、少ないなりの選択肢を選んだときに社会的承認を与えることも「手当て」だと思う。また、そうした政策は結果として鈴木氏が排除した「弱者」にも有効だと思う。